川口のなりたち

川口のなりたちは、今から2万年ほど前に関東平野の中心ともいえる川口に人が住み始めたことにさかのぼるといわれています。2万年前というと縄文時代よりももっと前の時代であり狩猟生活をしていたころの話です。その頃の地形は今とだいぶ異なっていて、川口の南部あたりは海面の下にありました。川口の北東部にある台地には、旧石器時代の天神山遺跡や縄文時代の遺跡であり海辺で人々が生活していたことの証拠である貝塚をはじめ多くの遺跡が残っています。2万年ほど前は海辺であった今の川口で生活を営んでいた祖先の様子が遺跡から知ることができます。

 

当時は地名の概念などなかったかもしれません。川口という名称は、文献で残っている記録としては鎌倉時代ちょっと前ころの話になります。旧入間川(現在の荒川)の河口に川口が臨んでいたことに地名の起源があるといわれています。1180年の源頼朝挙兵に加わるためにその弟の義経が鎌倉に向かう途中に、川口の渡し場で兵をあらためたことが「義経記」という書物に記されて残っています。おそらくは、この出来事が川口という地名が歴史として記録されている最古のものだと思われます。

 

時をさらに経て、昭和8年4月1日に、川口町・横曽根村・南平柳村・青木村が合併し、昭和15年に、芝村・神根村・新郷村の3村を吸収合併しました。更に昭和31年に安行村、昭和38年に美園村の一部の戸塚を合併しました。そして平成23年10月11日、鳩ヶ谷市と合併して新川口市となりました。